セント・ベルナルデュス醸造所

セント・ベルナルデュス醸造所

セント・ベルナルデュス醸造所

1946年醸造を開始。 修道院からライセンスをもらい醸造するという 修道院ビールの一番初めはこの醸造所が最初である。ライセンスは現在、世界一のビール、トラピストビールとして有名な 「ウェストフレテレン」を醸造する「セント・シクステュス修道院」からの ライセンス生産だった。

醸造所の歴史

醸造所の歴史

西フランダースの一番端にワトゥという西フランダースのホップの中心地があり、ビール愛好家達が夢見るビールが作られています。このおとぎ話のような村、ワトゥでは時間がほかの場所よりあきらかにゆっくり流れていて、そこでの暮らしは他とは全く違い、静かで、人々は自然と共に生き、まるで時間に逆らうように伝統と価値が重要視されています。醸造所もそのひとつです。
20世紀初めの教会に反抗する政治のため、北部フランスにあったキャッツベルグ修道院協会は、フランスから数キロしか離れていないベルギーの小さな村、ワトゥに移る事に決めました。彼等は農場を「Refuge Notre Dame de St. Bernard」に変えて、修道院チーズの製造場所にしたのです。その売り上げで修道院の活動を経済的に支えていました。
30年代初め、フランスの教会への態度が良好になり、1934年修道院協会はベルギーの建物を処理して、すべての活動をフランスに戻す事に決めました。
その際にエヴァリスト・デコーニンク氏はチーズ工場を受け取り、ワトゥにある「トラピストの道」と呼ばれる場所で最初のビルを建てます。そこではチーズの生産がさらに発達し、商業的にも成り立っていました。この最初のビルは後に個人宅へと改装されビール愛好家を迎え入れていますが、今でもリビングルームにチーズ工場の跡が見られます。

世界初の修道院ビール

世界初の修道院ビール

第2次世界大戦直後、トラピストの僧侶、St. Sixtusセント・シクステュスは現在世界一のビールとも言われる彼等のビール「ウエストフレテレン」を売る事を止めると決めました。

取り決めは次のようなものでした。トラピスト修道院の中では、修道院内で消費する分だけのビールを作り、修道院の入り口と、修道院に関係しているいくつかの宿泊所だけで一般の人に売る。一方、デコーニンク氏は許可を得て1946年よりトラピストビールを製造して売ることにしました。ビールの元となる水はジャン・ヌ・ダルクの時代からもたらされた地下水が150メートルもの醸造所の地下より採取されています。

チーズ工場の隣に新しいブルワリーが建てられ、ウエストフレテレンの醸造長(修道士)(彼は知識も造詣も深かった。)の助けを借りて、デコーニンク氏はセント・シクステュスのビールを製造しはじめます。もちろんこのビールはウエストフレテレンに勝るとも劣らないという味わいとなりました。60年代の初め、デコーニンク氏の義理の息子クラウス氏がブルワリーに関わりはじめ、ライセンスを更新する交渉をしました。1962年にライセンスは30年の期限(1992年まで)で更新されました。

しかし1992年に契約は終了となります。トラピスト修道院は、「Trappistenbierトラピストビール」の品質はトラピスト修道院の中で製造されたビールのみに保証されると決めたからです。1992年以来、ワトゥのTrappistenweg 23(トラピストの道)で製造されたビールは新しいブランド名「St.Bernardus」(ノートルダム・ド・セント・ベルナルデュスに関連している)で売られています。

世界一のビールとも言われる、ウエストフレテレン・アブトに勝る物があるとすれば同じ血筋のセント・ベルナルデュス・アブトが挙げられるでしょう。

ピエール・セリス氏とセント・ベルナルデュス

ピエール・セリス氏とセント・ベルナルデュス

近年さらにこの醸造所には世界に誇るビールが加わる事となりました。ヒューガルデンの生みの親ピエール・セリス氏によってさらに新しい命が込められたのです。そのビールの名はセント・ベルナルデュス・ホワイト。彼がヒューガルデン、そしてセリス・ホワイトに続いて醸造した最後のホワイトビールです。
そしてグロッテンビア(洞窟のビール) セリス氏は数十年前にシャンパンを寝かせる洞窟を訪れた際に夢をもった。ビールをこのように洞窟にて熟成させたい。その想いはここで現実となりました。ビールの伝道師、マイケル・ジャクソンはこれを世界のベストビール10の1つと賞賛したのです。

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