ピエール・セリスの夢「グロッテンビア」

ヒューガルデンの創業者であるピエール・セリス氏。彼はシャンパンを熟成させている洞窟を訪れた際に自らの手で洞窟で熟成させるビールを醸造したいと考えるようになりました。その夢は現実となりそのビールがグロッテンビア(洞窟のビール)となります。そのビールは世界で最も知られるビール評論家マイケル・ジャクソンにも世界の10に入る素晴らしいビールだと絶賛されました。ピエール・セリスはこのビールをデ・スメット醸造所(現アフリゲム醸造所)にて醸造を行っていましたがデ・スメット醸造所がハイネケン社に買収されたため、彼はセント・ベルナルデュス醸造所の助けを借りてグロッテンビアの醸造に晩年情熱を注ぐ事となりました。
ピエール・セリスの死後、グロッテンビアはセント・ベルナルデュス醸造所の立ち上げた小さな城壁のほこらに作られたカゼマッタン醸造所で醸造され、グロッテン・サンテと現在呼ばれています。

城壁のほこら、小さなカゼマッタン醸造所の誕生

城壁のほこら、小さなカゼマッタン醸造所の誕生

西フランダース州の美しい街イーペルは奇しくもちょうど100年前に始まった第一次世界大戦の主戦場となった場所です。この時にこの付近で使用された化学兵器イペリオットもそのイーペルという名前から来ています。イーペルでは毎日ラスト・ポストと言われる慰霊式がおこなわれ多くの戦死者をだしたイギリスから多くの人々が毎日訪れます。
そのイーペルの町に醸造所をつくりあげるのは長い道のりでした。イーペル市議会と、この歴史ある街に感謝を表します。Houten Paard(木馬の砲台)のKazemattenは、ヴォーバンの築城法にもとづいて1680年代に建設されました。ヴォーバンはルイ14世の時代の軍人です。Kazemattenはイーペルの町を取り囲む城壁の一部を成していて、何世紀もの間この地下室は弾薬や軍事物資の保管に使用されていました。イーペルが包囲されている時、イーペルを守る軍隊はシェルターや寝床としても使っていました。指揮本部や野戦病院も設置されており、「ホテル・ド・ランパーツ」と皮肉られていました。さらにイギリスの有名であった戦時の新聞「Wiper Times」の本部がここにありました。そんな場所に、いま醸造所が誕生したのです。
その醸造所は同じく西フランダース州にて世界に誇るビールを醸造するセント・ベルナルデュス醸造所のオーナー,ハンス氏と、同じく世界を代表するフランダース・レッドビール「ローデンバッハ」の醸造長ルディー氏によるものです。二人は良き友人でありこれから様々なビールを醸造していく予定です。醸造規模が非常に少ないためにブルーパブとごく少数の友人へビールが送られる事になるでしょう。

カゼマッタン醸造所の商品が2件見つかりました。
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